『夏フェス革命』著者・レジー氏が振り返る、フェスシーンの広がりと記憶に残る思い出 

日本で現在の大型フェスのひな型になった「FUJI ROCK FESTIVAL」の第一回が開催されたのは、さかのぼること約20年前にあたる1997年のこと。昨年末に刊行されて話題になった、音楽ブロガー・ライターのレジー氏による初の著書『夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー』では、主催者側が用意した空間で来場者が様々な楽しみ方を自ら作り出すことで人気を広げいった約20年間の日本でのフェスの歴史が、同時代の様々なデータや事象をもとにあくまで客観的な筆致で紐解かれている。

今でこそ音楽/食/ファッションを含む多彩な要素の集合体となったフェスは、果たしてどんな風に今の姿に辿り着いたのか――。その過程を検証する中で、SNSの登場を筆頭にした世の中の大きな変化も伝えるこの書籍は、フェスが一般層にまで広がるレジャーになった現在ならではのものなのだろう。だとするなら気になるのは、著者であるレジー氏自身はどんな風に「観客としてフェスを楽しんできたか?」ということ。そこで今回は、彼のこれまでのフェス体験についてインタビュー。日本の音楽フェスの黎明期から現在までの、様々な思い出を語ってもらった。(Interview/Text:杉山仁)

Interview:レジー(「夏フェス革命」著者)

―『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』では、フェスと観客とが一緒に生み出した約20年のフェスの変化を、「協奏」という言葉で紐解いています。まずはこの言葉を思いついたきっかけを教えてもらえますか?

僕は普段は戦略コンサルティングの仕事をしていることもあり、もともと「オープン・イノベーション」「共創マーケティング」というような、多様なプレーヤーが一緒になって事業のあり方を形作っていくという考え方に触れていました。それで今回フェスの本を書くことになったときに、様々なフェスが形式ばらずに、自然に参加者の動向を取り入れていったことが、いわゆる「共創」と似ているな、と思うようになったんです。それで最初は「共創」という言葉で考えはじめたんですが、文字として硬い印象を与えてしまうのと、せっかく音楽にまつわる話なので、「協力して奏でる」という意味で「協奏」にしたというのが経緯です。

「フェスが来る人によって形が変えられてきた」という切り口を思いついたのは、僕自身の体験がきっかけですね。僕は「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」(以下ROCK IN JAPAN)に初年度から毎年参加しているんですが、このフェス自体が初回と今とでは違うものになっていると感じるんですよ。規模も全然違うし、来ている人の種類も随分変わったと思っていて。その変化を感じはじめた2006年頃は日本でちょうどmixiのようなSNSが広まった頃で、消費者が受け取るだけではなく自分で発信できるようになった。そのタイミングくらいから「一緒に作っていく」「(主催者と参加者の)両方で作っていく」という風に変わったんだなとイメージが出来て、それを「協奏」という言葉で表現しました。

―この本では、色々なデータや裏付けになる事柄を挙げていくことで、その変化があくまで客観的な視点からまとめられています。実際に本にしていく作業は大変だったんじゃないですか?

全体のテーマ自体は昔から漠然と思っていたことで、僕が2012年の夏頃はじめた「レジーのブログ」で最初にバズった投稿も似たようなテーマでした。それもあって、大まかな流れを作るのにはあまり苦労しませんでした。ただ、そこに「僕がこう思いました」というだけではないエビデンスを加えていく作業には時間がかかりましたね。久々に国会図書館に行って、「何で昼間から2008年の女性ファッション誌を見ているんだろう」と思ったりもして……(笑)。

―その肉付けの中でも、「フェス」を「ハロウィン」や「ナイトプール」のようなイベントと接続して共通点を考えていくところは特に面白く読ませていただきました。

僕はサッカーが好きなんですが、「日本代表の試合があるときの渋谷のスクランブル交差点の風景」と、「音楽を聴きに行くことが必ずしも主目的ではないフェスの楽しみ方」という話はどこか似ているなと思うし、そういうものが世の中にはいっぱいあるなと思ったんですよ。SNSが一般的になったからこそ、何かを媒介に、もしくはネタにして「そこで盛り上がることが面白い」という風に世の中が変わっていったというか。

―『天空の城ラピュタ』がTV放送されるときのSNS上の「バルス」もそうですよね。

そうだと思います。フェスは誰もがSNSを使い始める前から、「主役はあなたたち(観客)です」とずっと言ってきた存在だったわけで、だからこそSNS以降のエンターテインメントの変化に上手く乗りやすかったと思うし、ある意味時代の先を行っていたのかな、と。意外とそういう視点でまとめている書籍が少ないということもあって、その部分はきちんとまとめたいと思っていましたね。

――今回はその書籍とは対になるような形で、レジーさん自身がフェスに向かった実体験を通して、フェスの変化について聞かせてもらえればと思っています。本の冒頭にも書かれていますが、レジーさんの初フェスは1998年の第2回開催のフジロックだったそうですね。

当時僕は高校2年生で、オアシスのようなバンドから海外の音楽を聴くようになっていて、日本ではTRICERATOPSやサニーデイ・サービスが好きでした。前年にあたる1997年に初年度のフジロックがはじまって「これはヤバいぞ」と思ったんですが、場所的な問題や金銭的な問題もあって流石に行けないと諦めて。そうしたら雨で大変なことになったみたいですね。でも、翌年は開催地が豊洲になったので、「これは行かなきゃな」と思って学校の友達と2人で行ったのが1998年のフジロックでした。まだ高2だったので、周りを見渡すと全員自分たちよりも年上なんじゃないかという雰囲気で、結構怖かったのを覚えていますね。ちょっと大人の世界を覗くような感覚もあったような気がします。

―フェス自体が今とは違う雰囲気で、初めてクラブに行くような感覚と近かったかもしれません。

そうですね。その頃はフェスに行くための服装や準備についてもあまり勝手が分かっていなかったので、初日は結構普通の恰好で行ってしまって(笑)。当日雨は降らなかったんですけど、前日に降っていたので会場はドロドロで、結局そのときの靴も帰ってから捨てました。自分たちより年上の人たちが、音楽を聴きながら一心不乱に盛り上がっている光景というのは、なかなかのカルチャーショックでした。本にも書きましたが、そこでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのライブを結構前で観て、人がいっぱいでみんな転んで……まさに「大丈夫か?! 死ぬなよ」という、あのただ中にいたんです。あそこにいたということはこの先一生若者に自慢して生きていこうと思っているんですけど(笑)、そういう経験をしているからなのか、僕はフェスに対して潜在的にそういうものを求めてしまう傾向があるんですよね。だから、本にも書いたように「ROCK IN JAPAN」でのDJブースでの観客の楽しみ方の変化にやや違和感を覚えたりしたのかなと思います。ちょっと被害妄想っぽくもありますけど。

―レジーさんはフェスの形が変わる前の雰囲気もリアルタイムで体験していたからこそ、その変化に気づいたということなのでしょうね。

思い出したんですけど、1998年のフジロックは、初日は炎天下の中でガービッジを観て干からびそうな状態になってたんですけど、確か夕方頃に飲み物を買おうと屋台に行ったら、ほとんど何も売ってなかったんですよ(笑)。ぬるいコーラがあるぐらいでした。今のフェスで食べ物が売ってないということはなかなかないですが、当時は主催者側も「大きな会場に大勢の人を呼んでライブをする」ということで精一杯だったんでしょうね。そこでミッシェルを観て、プロディジーもプライマル・スクリームも観ました。あと、ベックも前の方で観たんですけど、そのとき観客同士が喧嘩をしていたのも覚えています。今のフェスとはだいぶ違う雰囲気だったと思いますね。お客さんもみんな馴れてなかったんだと思います。自分にとってはかなり衝撃的な体験でした。

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