日本における都市型フェスの草分けである「SUMMER SONIC(以下、サマソニ)」と、初夏を彩る風物詩となった「GREENROOM FESTIVAL」。どちらも毎年数万人の動員を記録する人気フェスとしてお馴染みだが、2019年は「サマソニ」が20周年、「GREENROOM FESTIVAL」が15周年の節目を迎える。国内外の旬なアーティストのライヴを一挙に楽しめる両フェスは、我々音楽ファンにとっても欠かせない存在となっていることは言うまでもないだろう。
今回Festival Lifeでは、「サマソニ」を主催するクリエイティブマンプロダクションの清水直樹氏と、「GREENROOM FESTIVAL」のオーガナイザーである釜萢(かまやち)直起氏の貴重な対談が実現。日本におけるフェス・カルチャーの生き証人にして、「戦友」とも呼べる両者のバックボーンから、慣れ親しんだ会場や環境についての想い、そして「フェスをつくること」の魅力に至るまで、和気あいあいと語ってもらった。
主催者対談:サマソニ清水直樹×グリーンルーム釜萢直起
―はじめに、清水さんと釜萢さんの出会いって何がきっかけだったのでしょうか。
清水:横浜大さん橋ホールで「GREENROOM FESTIVAL」をやっていた頃ですね。東京スカパラダイスオーケストラが出ていたんですけど、会場がマグニチュード5.0ぐらい揺れる中でライヴを体験したのが衝撃的すぎて…(笑)。おもしろいフェスだけど、このままこの場所で続けていけるのか?って心配になりました。
釜萢:赤レンガに移る前だから、2009年ですね(笑)。
-それまでは、特にクリエイティブマンさんとの関わりはなかったんですか?
清水:そうですね、共通の知人がいたので現地ではじめて会って。会場の件も伝えました。「これはもっと大きくなるフェスだから、絶対に場所を動かした方がいいですよ」って(笑)。それで、赤レンガに移すための交渉を手伝ったりしたのが最初ですね。
―今年で「サマソニ」は20周年、「GREENROOM FESTIVAL」は15周年を迎えます。お2人とも、立ち上げ当初はこんなに長く続くフェスになると思っていましたか?
釜萢:最初のうちは考えもしなかったですけど、もちろん「続けたい」っていう気持ちだけはありましたね。でも、当時は何年も先を見通せる余裕なんて全然なかったし、1年1年を胃がキリキリしながら過ごしていました(笑)。
清水:同感(笑)。10年、20年先を見越してフェスを立ち上げた人は今までいないと思うし、「コーチェラ」を主催するポール・トレットだって初年度の1999年は大赤字で、次の年は開催を見送っているんだよね。で、自分の家を担保に入れてまで「コーチェラ」を続けることにした。だから、フェスをはじめた人はそれぐらい苦い思いをしていると思うし、そういうバックボーンがあるかないかが、15年、20年とフェスを続けていけるかどうかの分かれ道なんじゃないかな。
―胃に穴が開きそうな日々を乗り越えてきたと(笑)。釜萢さんが「GREENROOM FESTIVAL」をスタートしたのは、カリフォルニアの「ムーンシャイン・フェスティバル」というフェスに感銘を受けたからだとお聞きしました。では、「サマソニ」誕生のきっかけになったフェスや出来事は?
清水:やっぱり、イギリスの「レディング」は大きいよね。ロンドンから電車やバスで行って、その日のうちに帰ってこられるような都市型フェスというか。後に「リーズ」と2都市で同時開催するようになったし、じゃあ僕らも東京・大阪の2都市でやろうってことになって、「サマソニ」初期の構想としてモデルになった部分は多いです。
―釜萢さんから見て、「サマソニ」とはどんなフェスで、いちオーガナイザーとしてどんなことを学んでいますか?
釜萢:毎年そのスケールに驚かされますし、本当に見たいアーティストが出ているフェスだなと。あとは、各ステージに特色がありますよね。スタジアム(ZOZOマリンスタジアム)があって、幕張メッセがあって、ビーチもあってという。なかなかそんなフェス、世界中を探しても見つからないですよ。野外フェスとして充実してるだけじゃなく、メッセだけでもひとつのフェスが成り立つくらいの規模ですし。
清水:うん、まず「場所に出会う」っていうのが大事なことで。「GREENROOM FESTIVAL」だって、赤レンガに移ってから初夏のフェスとして定着したよね。「サマソニ」もスタジアムと幕張メッセを両方使える会場と出会えたのがラッキーだったし、そこからビーチやリバーサイドガーデンのようなエリアにも広がっていった。さっきも言ったように何十年と先を見通して選んだわけじゃないけど、そういう理想的な場所と出会えて、今も恋焦がれているからこそ続けられているのかもしれないな。
釜萢:たしかに、「場所に恋してる」っていうのはありますね。赤レンガ倉庫みたいに100年を超える歴史的建造物の中で、しかも横浜の夜景と一緒にフェスを楽しめるっていうのは、極上の空間ですよ。
清水:釜萢さんは横浜にこだわりがあるよね。以前、「サマソニのビーチで『GREENROOM』やってみない?」って薦めたんだけど、「千葉はちょっと違う」ってフラれちゃって……(笑)。
―学生時代は江ノ島でサーフィンに明け暮れていたとか?
釜萢:そうですね、町田出身なんで小田急線で鵠沼とか江ノ島には一本で行けましたから。
―清水さんも静岡県の焼津で育ったそうで、海は近いですよね。いわゆるサーフ・カルチャーには興味があったのでしょうか?
清水:静波とか御前崎はサーフ・カルチャーが盛んだし、いとこにはサーフィンが得意だった人もいたかな。でも、僕の地元は漁港だから単に海や山が近いっていうだけで、カルチャーが生まれるような場所ではなかった(笑)。どちらかというと、高校時代は家に引きこもってレコードばかり聴いてましたよ。
―そういったルーツと言いますか。釜萢さんが横浜で、清水さんが千葉の幕張でフェスをやられていて、今も海の近くにいるのがおもしろいなと。
釜萢:水辺っていいですよね。
清水:そうだね、山と海どっちにこだわるかって言ったらやっぱり海かもしれない(笑)。それに、「フジロック」が山なら違う場所でフェスをやったほうがいいだろって思ったし。実は、「サマソニ」の「ビーチ・ステージをなくせ」っていう人がいるんですよ。要は、マリンとメッセだけで完結したほうがいいんじゃないかと。でもさ、あれって「サマソニ」の良心じゃんか(笑)。あの場所とアーティストがピタリとハマったときの気持ちよさって、何ものにも代えがたいからね。
―2009年にタヒチ80の出演が豪雨でキャンセルになってしまいましたが、その翌年に同じビーチでリベンジしてくれたときも素晴らしい光景でしたよね。ちなみに、清水さんは「GREENROOM FESTIVAL」のどんな部分が魅力的だと感じていらっしゃいますか?
清水:とにかく「ライフスタイル」としてのフェスを確立したところ。それに、サーフ・カルチャーというものをしっかりと来場者に根付かせながらさ。僕には絶対できない。そういう意味でもすごく尊敬していますね。
―お客さんもオシャレですしね。
釜萢:やっぱり、「GREENROOM FESTIVAL」にはオシャレして来てほしいんですよ。
清水:ホント、素敵な客層だよね。去年サンボマスターが出たとき、ヴォーカルの山口隆さんが「NOオシャレ!NOオシャレ!」ってコール&レスポンスしていたのがめちゃくちゃ印象的だった(笑)。
一同:(爆笑)。
清水:あれはあれで、逆にハマった瞬間だよね。
釜萢:おもしろかったですよね〜。インカムで本部にも聞こえてきて(笑)。